住宅は、建築というハードと住まい方というソフトにより成り立っているものだと思う。設計をする立場でありながら、言うのも何であるが、住宅は、建築のハードよりも住まい方のソフトに依存する部分が多いように感じている。建築という基盤と、それを住みこなすセンス(あまり好きな言葉ではないが)が掛け合わされて、住宅の本領が発揮されるように思う。
その、住みこなしのセンスには「整えるセンス」と「散らかすセンス」の二種類が存在していると感じる。「整えるセンス」は整頓するセンスで、きっちりと場を綺麗に保つセンスのようなイメージ。「散らかすセンス」は一見、乱雑に見えるが、それを不快に感じさせないセンスのようなイメージ。
私の設計は、後者の「散らかすセンス」に頼り、助けられていると感じる。感覚的な話であるが、私に依頼をして頂ける方たちは「散らかすセンス」を持ち合わせている人が多い。もちろん「整えるセンス」も必要になるが「散らかすセンス」の二刀流となると、住みこなす力が、ぐっと上がる印象がある。
前置きが大分遅くなったが、そもそも住宅は住んでいる当人たちが満足すればいいものであって、それに、住みこなしやセンスが必要などと言うのは野暮な話だとは思っている。ただ、住宅を設計する者としては、住宅という建築を最大限に活かして、豊かに、愛でて、楽しみ、生活してもらえると冥利に尽きる。そんな小さな戯言だと思ってお読み頂ければ幸いである。