ある日、気が付くと指輪が歪んでいました。元に戻したくなります。歪んでいる事実がストレスにもなります。それは「指輪は正円」という正解をつくってしまった為です。「指輪は歪んだ円」という正解にしておけば、どのように歪んでも正解です。これはこれか。と思えるかもしれません。
美容院に行った時の話です。担当の美容師さんが「セットはタオルドライしてワックスつけて適当にクシャクシャとやればいいから」と言ってくれました。「この髪型は、このセットの仕方をしないとダメ」と正解をつくられていたとしたら、そのセットから崩れたらストレスになってしまうかもしれませんし、そのセット以外をしようと思わないかもしれません。
つまり、何を言いたいかというと「正解」をつくると思考の幅が狭まり、かつ、窮屈になってしまうということです。
このようなことを住宅設計をする上でも常々考え、課題にしています。住宅は、長ければ100年スパンでものごとを考えなければならない建築です。その間に起こる様々な変化を予測し、全てを設計時点で決めることは不可能に近いことですし、もし決めようとしたとすると〝決めるストレス〟が掛かってしまうかもしれません。
ですので、なるべく「使い方はこうして下さい」と正解をつくらないように心掛けています。ただ〝どうにでも使える空間〟に仕上げるようにしています。住み始めてから考え、家具を置くなり、多少の造作する程度の手を加えれば、変化に対応できる。そんな空間です。
例えば、ガランドウの名前の無い部屋を用意し、壁を木合板で仕上げる。ベットを置けば客間に、机を置けば書斎に、壁に釘を打ち付け、絵を飾ればギャラリーに、棚板をホームセンターで買ってきて壁に固定すれば納戸に。置くものや取り付けるもので部屋の名前が変わる部屋。そんな設えがあっても良いかもしれません。
〝正解をつくらない〟という正解を用意することで、住空間の可能性は、広がりをみせるのではないのでしょうか。