「カーテンが似合う家」と「ロールスクリーンが似合う家」

「カーテンが似合う家」と「ロールスクリーンが似合う家」があると感じている。基本的には「カーテンが似合う家」を設計したいと思っている。

話をもう少し掘り下げる。カーテンやロールスクリーンは日射や視線を調整するために住宅に必要なもの、つまりは住宅にとっての〝必然〟ともいえる。カーテンは隠すことが難しい。カーテンボックス等を設けても隠れるのはレールのみであり、カーテン自体は開けていても、閉めていても見える状態になる。ロールスクリーンはカーテンボックスを設け、開けた(上げた)状態とすれば隠れる。主観ではあるが、カーテンは〝見せる〟操作であり、ロールスクリーンは〝消す〟操作のように感じる。

話は戻るがカーテンやロールスクリーンは住宅にとっての〝必然〟ともいえる。その〝必然〟を〝消す〟目的が強いロールスクリーンよりも〝見せる〟目的が強いカーテンが似合う家である方が住宅らしいと感じる。〝必然〟が介入しても崩れない強度が住宅には必要に思う。綺麗でシンプルな空間構成であるとカーテン等の〝必然〟が悪目立ちするが、ある種の雑然さ等の〝要素〟がある空間構成であれば、それらの〝必然〟は悪目立ちしにくい。

住宅は生活の場である。カーテンも生活感も汚れも傷もモノも全て〝必然〟である。それらを許容できる空間構成である方が寛容に過ごせるように思う。