まずは、結論から。
〝荒い暮らし〟から〝許せる暮らし〟に改称します。
提唱してきた〝荒い暮らし〟という考えが多少ですが、認知されるようになってきました。その結果、建築業界内外から「〝荒い暮らし〟という名称だと誤解が生まれるのでは?」「〝荒い暮らし〟という名称だと本質的ではないのでは?」という声を頂くことが多くなりました。
その違和感のようなものは、私自身も感じていて、それを第三者も感じるものだとわかってきました。私の目指しているものは何で、その名称として的確な表現は何なのか、日々何となく考え続けていました。先日、Twitterで改称についてアンケートをとったのですが、結果や色々な方々からのご意見を参考にしながら、思考の整理をしていきました。その結果、私の提唱しているものは〝許せる暮らし〟だという結論に至りました。
私は住宅に対する持論が2つあります。
1つ目は『〝必然性〟を許容すべきである』という持論です。
住宅は人が生活を営むことを前提とした建築です。生活感が出ることや汚れや傷がつくことは必然的なことであり、住宅は、それらの必然性をポジティブに許容する建築であるべきという考えです。
2つ目は『〝変化〟するものである』という持論です。
住宅では、家族構成、必要室の変化など長期的なスパンの変化。想定、使い方の変化など短期的なスパンの変化。様々な変化が予測されます。竣工が完成ではなく、必要とされる構成や価値観などは絶えず変化し続けるものであるという考えです。
その持論に対して具体的には主に2つの設計方法でアプローチしてきました。
1つ目は『〝要素〟を多く設える』という設計方法です。
ベースとなる建築側に素材感や色味や露出する構造や手仕事感などの〝要素〟を予め多く設え、プレーンな空間にせず、雑多な空間とすることで、生活を営むことにより必然的に介入してくる生活感や傷や汚れなどの〝要素〟を悪目立ちさせないという考えであり、手法です。
2つ目は『なるべく〝作り込まない〟』という設計方法です。
全てを未来予測し、設計段階の机上で決定するのは不可能だと考えています。ですので、決定できることだけを決定し、決定できないことは保留とする。住み始めてから決定したことに対して手を加えていくことを前提として、なるべく〝作り込まない〟空間とし、様々な変化に順応させていくという考えであり、手法です。
それらの設計方法から導き出された構成や素材などが〝荒い〟ものだと感じたことから〝荒い暮らし〟という表現が生まれたのですが、それは結果的な話であり、その〝荒さ〟は〝許せる暮らし〟のための手段であったと気付きました。
生活を営むことにより必然的に介入してくる生活感や傷や汚れなどを〝許せる〟。家族構成や使用方法や価値観などの変化を〝許せる〟。〝許せるメンタルのためにベースとなる建築側に仕組みをつくること〟が私の目指していることの本質であるとの考えに至りました。
ですので、私が行っていることは厳密にいえば〝許せる暮らしの設計〟などになるかと思いますが、解釈が限定的になり過ぎないよう〝許せる暮らし〟として提唱していきたいと思います。
だだ、この考え方は、経験上、言葉だけでは伝わらないことが多いと感じていますので、下記の参考事例と併せてご覧頂けると理解が深まりやすいかと思います。また、ご興味がおありの方には、体験と説明を同時に行う機会を頂けると幸いです。
-参考事例-
1.HOUSE-NN
2.HOUSE-KT
3.HOUSE-N
4.HOUSE-U