2021年7月22日。最愛の妻。birthday。
私は妻のことをこの上なく信頼しています。
良い機会なので、その理由をちょっとしたカミングアウトを交えながら書き綴ってみたいと思います。
私は2つの設計事務所勤務を経て、独立に至りましたが、1つ目の設計事務所の退職時に話は遡ります。退職というと聞こえは良いですが、事実上はリタイヤに近いです。心身共にダメージを受け、ドクターストップが掛かったのが実のところです。
(1つ目の設計事務所の名誉のために補足すると、厳しい労働環境であったこと否定できませんが、そうなってしまった理由は、私の働き方やメンタルの持っていき方の悪さが主だと思っています。その当時の様々な経験が今の自分を形成していることは間違いありません。今でも感謝しています)
その当時は『もう建築を続けていくことは無理かもしれない』と思ってしまう程の状況にまで陥りました。そんな私に周囲は「今はゆっくりしなよ」「建築以外にも仕事はあるよ」「諦めたっていいじゃないか」などと優しい言葉を掛けてくれました。
しかし、妻(当時は彼女)だけは「ここで腐ったら人生終わるよ。諦めるなよ」と厳しい対応でした。正直『今は休ませてよ』『優しくしてよ』などとも思いましたが、その言葉に後押しされ『もう一度建築をやろう』と再起し、憧れだったアトリエ事務所への就職を果たしました。
そのアトリエ事務所勤務中に結婚し、長男が生まれ、良きタイミングが訪れたので、独立。そして今に至ります。妻のあの一言がなければ、建築を続けることも、独立することも、妻と結婚し家庭を築くことも、なかったと感じています。人生が大きく変わっていたかもしれない。本当に感謝しかないです。
なぜ、妻があの時、辛辣な対応をしたのか。それは〝自分事〟として私のことを考えてくれているからだと思っています。妻はいつだってそうです。常に、私にとって最善なこと、自分にとって最善なこと、夫婦にとって最善なこと、家族にとって最善なこと、それが何なのかを広く、長期的な視野でコメントしてくれます。
だからといって『妻の意見なら間違いない』と盲目的にまではなりませんが『妻の意見であればしっかりとした意味があるはず』という信頼のもとで肯定的に耳を傾けることができます。
退職、独立、結婚、出産など大きなターニングポイントでも、日々の生活の中での細かい事柄でも、妻の意見が間違っていたことはほとんどありません。それは、私や息子たちを〝自分事〟として常に考えている賜物だと感じています。当たり前のことのようで、中々それを実行することは難しいことだと思うのです。私が妻をこの上なく信頼している理由はそこにあります。
そんな最愛の妻と共に良き歳の重ね方ができるよう、初心と感謝の気持ちを忘却せず、謙虚に素直に、歩みを進めていきたいと思います。
いつもありがとう。誕生日おめでとう。