感動する大切さ

先日、家族ととある遊園地に出掛けました。雪遊びがメインの施設なのですが、アトラクションもいくつかあります。息子たちはウル〇ラマンのアトラクションに目をつけ「乗りたい!」と言うので乗ることにしました。ウル〇ラマンが回りながら上がり下がりするアトラクションなのですが、お世辞にも刺激的なアトラクションとは言えません。しかし、息子たちは目を輝かせて、大興奮で感動しています。大人の私は、勿論、興奮も感動もしません。

私たちは、悲しいかな、大人になればなるほど、経験を積めば積むほど、知識を蓄えれば蓄えるほど、感動しにくくなっていきます。上記のアトラクションでいえば、同種のアトラクションを体験済みですし、どの程度の刺激なのかも予測ができてしまうからです。仕事についてもそうです。ある程度の成功体験を続けると同程度の成功体験では感動しにくくなります。知識や経験や出会いもそうです。様々な蓄積による、ある種の〝慣れ〟が私たちを感動から遠ざけます。

私は、たまに、学校の講師のようなものをさせて頂く機会があるのですが、学生へのアドバイスを求められたときは「感動して下さい」と伝えるようにしています。屈託なく感動できるのは若いうちだけですし、感動をしたことがない人は、人を感動させることはできないと思うからです。

若い時期と同じように感動をすることは難しいことかと思いますが、そのような心構えは歳を重ねても必要なものだと常々感じます。過去の知識や経験の範囲内だけで物事を処理しようとせず、常に好奇心を高く持ち、新しいものを求め、チャレンジを続け〝初心〟に触れる機会と同時に〝感動〟する機会を意図的に作るように心掛けています。

人を感動させるモノやコトを創れるよう、初心を忘れず、自身の感動の蓄積を続けたいと思います。